ブログ~京の散歩道~論文

本日、大阪電気通信大学の研究論集「人間科学研究」25号にて『日本人名の英語表記 The English Notation in Japanese Names』というタイトルで論文が大学関連で初めて掲載されました。この内容については、大修館書店の『英語教育』、英米文学手帖で自分の考えを述べてきました。今まで論文は英米文学手帖を中心にして書き続けてきました。改めて言うことではありませんが、「書く」という作業は本当に大変です。論文というのは何のために書くのかとということを考えた時、自分の考えていることを伝え、みなさんに考えてもらいたいということだと思います。私の場合、日本人が英語を使っている時に「名・姓」式で表記することが当然と考えた時、「姓・名」で表記する又は口頭で述べるというのは間違いであるという認識を持っています。しかし残念ながら中学校の教科書で「姓・名」式が導入されて以来、悪い意味で浸透してしまいました。自分の考えを世に伝えるためには、やはり書くしかないという結論に至りました。しかし書くといってもそれは簡単なことではありません。まず自分が何を訴えたいのか、資料集め、どのように論をたてるのか等考えなければいけないことがたくさんあります。私の場合は学部での卒業論文、修士課程での修士論文を通じて論文を書くという経験をしましたが、当然のことながら満足のいくものではありませんでした。しかし関西英米文学研究会に入会することで書く機会を与えられ、多くの論文を完成することができました。私の書き方は誰かを又は何かを批判することで自分の論の正当性を主張するという形をとっています。この形は比較的書きやすい手法であると私は考えています。しかしこれを読んだ方から批判等があることは肝に銘じておかなければならないと思います。そしてそれに反論しなければ、自分の書いたことが間違いということになってしまいます。論文を書くということはそれだけの覚悟を持って臨まなければならないことも又学びました。また川野先生には英米文学手帖の原稿の確認、そして今回の大阪電気通信大学の論文の投稿に関してもご助言、ご指導頂いたことを、この場を借りて、改めて御礼申し上げます。                     令和5年3月10日