最近、ChatGPTが、ニュースやインターネットで取り上げらている。私たちの日常生活においてAIやChatGPTとは共存することを真剣に考えなければと思っている。特に仕事においては私自身が英語教師という立場上、これらをどのように扱っていけばいいのかということで少し頭を悩ませている。具体的には例えば英訳や和訳の作業。以前ならば辞書で単語をひきながら英文理解に務めていた。しかし今はこれらのおかげでこのような作業もしなくて済む。学生さんにこれらの使用を認めないといったところで、それは私たちが時代についていけていないことを認めているのと同じだと思う、私は英語教師がこれらといかに共存していくかを考える方が今後の英語教育にとっては必要ことではないだろうか。英訳や和訳はもうAIに任せればいい。ではAIができないことで、私たちが英語教育で必要なことは何だろうか。もしその答えが見つけることができなければ、人間は語学を学ぶ必要が無いということになる。でも私は今でも分からない単語があれば、電子辞書を使って地道に調べている。「このような作業はもはや合理的ではないんだろうなぁ。」とよく思う。それでも私が英語を地道に勉強しているのはやっぱり直接自分の言葉で英語を話してみたいから。AIやChatGPTが作成した言葉をそのまま言うのは、人間ではなくもはやその人自身が人間ではなく、これらによって機械化されたロボットになってしまったと言えるのではないだろうか。英語を含む語学を学習する必要性は減少してくるのは必至だと思う。英会話学校にとっては死活問題だろう。学校でも英語の授業が将来なくなるかもしれない。AIやChatGPTはいずれ人間の能力を超える日が来るだろう。そして教師という仕事も奪われる日が来るかもしれない。でも私は英語が好きなので、英語を使って仕事ができなくなっても、いつまでも英語と友達であり続けられたらと思う。令和5年4月16日