ブログ~京の散歩道~前期修了

 大学の非常勤講師4年目の前期課程が昨日終了した。前期、後期共に終了すると学生さんからの授業評価が実施される。昔は考えられなかったが、この授業評価が来年度の自分の去就を決めるものになっていることは言うまでもない。教員側としても毎回どきどきしながらこれを見る。しかし私はこれとは別に文章表記で用紙にも授業の感想を無記名で書いてもらうことにしている。名前を書くと本音が書けないからである。そして後で提出されたものを見ると、どこの大学も比較的好意的に書いてくれている。自画自賛するわけではないが、「授業が解かる、教え方が上手い」という書き込みが結構多い。私が担当する学生さんたちは英語が不得意、嫌いといった学生さんたちが多い。彼らのことを考えた時「既に習っているから理解できている」という考え方は基本的には持たないようにしている。習ったからといって、その知識を維持しているとは限らないからである。私の授業は正直に言えば、中学校の授業をしている。彼らに必要なのは何回も同じことを言うことによって記憶に留めさせることである。文法訳読の典型的な授業ではあるが、私はそれがむしろ必要だと思っている。彼らが私に対して好意的な評価をしてくれているのは、今まで分からなかったことが理解できるようになってきているということではないかと思う。細かい文法説明、単語の使い方等をしっかり伝えることが必要だと私は感じている。以前にも書いたが、「勝ち方を知っている」、「結果の出し方を知っている」という指導者はやはり違う。例えば野球の指導者で言えば、亡くなられた野村克也監督、森祇昌(元横浜ベイスターズ監督)、なくなられた川上哲治監督、高校野球では明徳義塾の馬淵監督、高嶋仁(元智辯和歌山)監督、阪口慶三(元大垣日大)監督、西谷浩一大阪桐蔭監督等これらのような人たちから私は結果の出し方ということを学んだ。それを私の場合に当てはめると、いかに私の言っていることを理解させるかということになる。その思いが学生さんからの文章に結果として出てきていると考えている。以前新英語教育研究会の「滋賀のつどい」に参加した時、現在名古屋外国語大学教授の太田光春氏(元文部科学省初等中等教育局視学官)に教わった滋賀県内の公立高校に勤務する若い女性の先生が「大学在学中に太田先生に「英語で授業をしないといけない」と言われて、現場でその通りやってきましたが、それは間違いだと気づきました」と、言っていたが、「よく間違いに気づいた」と思った。少なくとも太田氏のような指導者にはなってはいけないと実感した次第である。    令和7年7月19日